久米国鼎会とは

ご挨拶

わたしたち久米毛氏門中の始祖毛国鼎会公が明国神宗万暦帝の勅命を以て琉球に派遣され、朝貢貿易や外交業務をこなし、1607年(万歴35)に琉球王国に仕えた。
2007年は来琉400年を数えました。また毛氏門中会も戦前から活動が盛んでしたが、戦後も数々の業務を行い法人化して公益事業や収益事業など50年の歩みをしてまいりました。2012年(平成24)には「社団法人」から「公益社団法人」へ移行しました。
これも一重に会員の協力のお陰であり、一族の結束のお陰であります。
これからも毛国鼎の偉業を継承し、社会の向上発展に寄与するために教育の向上、郷土文化振興その他社会公益に貢献する事業を行う「公益社団法人」を核として会は進みます。その情報をより分かりやすくお伝えするために今回、「ホームページ」をリニューアルしました。今後とも皆様の弛まない御支援やこの「企画」に対する御協力をお願いするものであります。
 会員の皆様がリニューアルした「ホームページ」を活用されるよう祈念申し上げ、挨拶とします。

概要

沖縄では祖先崇拝の念が強く、戦前戦後を通し多くの家庭で数多くの祭事が執り行われていた。特に清明の季節になると大祖、中祖、小祖と各々の先祖に対し清明祭りが全島各地で行われた。それには相当の経費が必要とされた。

それで毛氏門中は清明祭(ウシーミー)のたびに各家庭が分に応じた御酒代(ウサカテイ)を出し合っていた。しかし門中の人間が増加するにつれ、その負担に耐えない世帯が出るようになり、清明祭への不参加者が増えだして往年の賑やかさが衰えてきた。この儘では門中の親睦がとれなくなることを憂慮した「五世の頃の長老」が協議して寄付制度を作ったのである。その方法は立身する度に元祖に対する謝恩と門中一同の親睦を図ることを念頭に当時財力のあった宗家、分家の思慮で応分の金額を門中基金(グムチ)に寄付することになる。

この方法が歴代に亘って実地された結果、相当な基金を集めることが出来るに伴い御酒代の額も減額せれて門中の成人男子は全員清明祭に参加できるようになった。

後代になり那覇在住の各家の長老が協議して門中模合を起こして、その一部を基金に繰り入れる等門中基金を増やすことに務められた為に御酒代の制度も廃止され清明祭も門中祭祀もすべてこの基金で賄われるようになった。

近世になり本家の東風平友寄地頭8世与世山汝霖爺、分家では南風原親方克述がその管理の任に当たられ、後継者に10世桑江章鉅爺に託された。爺は共有財産の強化に奔走され門中長老と図り代々の基金と頼母子を合して最初の土地を久米町に81.2坪の土地を求め、これを賃貸しその賃貸料を基金に繰り入れ門中模合も続々と貯まり次第、那覇市内と真和志村に土地を求め終局では安里墓所両側を買い増した。総計5098.43坪に増えたのである。

公益社団法人 久米国鼎会